一年前までは、ぼーっと生きていた。
悪意のある人がこんなにいるなんて、思わなかった。
それが世の中の仕組みを知りつつある今、なんだったんだよ💢と思うことがたーくさん。
だまされてるんだね、私たち。
たとえば
洗うという概念
自分って、汚れをワシワシ出してるばっちい存在って思っていた。だから石けんとか合成洗剤を使って、しっかりと汚れを除去していた。
何十年もたって、汚れがとれすぎてカッサカサになったり、パッサパサになったりした。
とうとう身体が耐えきれなくなって、本気で「洗う」をおさらいしたら、「なんだ、人間ってそんなにばっちくないんだ」って気づいた。
お湯でさぁーって流したら汚れは取れるし、気になるようなら炭酸水とか、重曹とクエン酸で洗えちゃう!
川も汚れないし、洗剤飛び散らないから浴室きれいだし、薄くなっていた頭頂部はふっくらしたし、いいことだらけ。
コマーシャルに乗せられ続けてた自分を深く反省した。
医者という存在への解釈
湿疹が出来たら皮膚科へ、胃が痛かったら内科へ、関節が痛かったら整形外科へ。病院いく度、強く思うのは、「医者、こっち見ねぇ~」。
電子カルテばっか見てる。それでも治せるのは医者だけじゃ、と思い込んでいたので、不本意ながらも不調になったら医者へ行ってた。
ところが、歯科に通い始めたのきっかけに栄養について学ぶことになり、全然栄養がとれてなかったこと、栄養が行き渡ってたら病気しないことを知った。
目の病気も、脳の病気も、BMIがやや高いことも、皮膚炎をおこしてたことも、ぜーんぶ栄養不足、もういっぽ踏み込んで言うと代謝障害。
そんな話聞いたことないし、そもそも医者は栄養不足で病気になってるとは思っていない。薬出して対処療法して治癒がスタンダード。これでは不足分を補えないので、治りが悪くなる一途。病院行ってもなんだかな~というもやもやがやっと晴れた。
栄養療法をやってる医師に言わせると、不調は自分で治すもの。「自分で病にしたんだから、自分で病を治す」と至極当然の主張。自分の健康に責任を持つという意識、この年でやっと芽生えた。なんでも人任せは危うい。
私たちも所詮、駒というガビーン話
山に鹿が増えすぎたら、駆除。捨て犬・猫は保健所で😱。
人間の住む環境を確保するために、動物の命をまびいていたら、こんどは自分たちがまびかれる側になったという話。
最初は、うっそーん、っ思ってたけど、ね、昨今の動きから明らかにまびきが実行されてる感がする。
えっ?じゃあ誰かそれを決めて実行してるの?そんな「神」みたいな存在がいるの?と思うなら、DuckDuckGoという検索サイトを使って探してみて。SFよりも恐ろしい計画が書いてあります。
考えることを避けられぬ時代
私たちの身体は私たちのもの、という原理までもが危うくなってきた時代。どう人間らしく生き抜くか、一人一人が考えないと達成できなくなってきてる。
来年や再来年のことが全然分からぬ。生きてる?死んでる?ご飯食べられてる?怪我せずにいられてる?
普通の暮らしは期待できない。
誰かの後を追っかけるんじゃなく、考えて、実行して、修正して、また考えてのサイクルに我々は突入した。