komanyunの日常

とりとめもないことを綴った雑記

「お坊さんバラエティ!芸能人駆けこみ寺」を見た感想

昨晩、北風と太陽の記事で取り上げた番組を見た。
やはりこの番組の核となるところは、遠野なぎこさんの相談だと思う。

以下うろ覚えだが水無和尚との対話を書く。


水無:兄弟は何人いる?
遠野:下に3人いる
水無:ずっと一人だよね。
遠野:涙
水無:同じランク、同じ肌、生まれたとき同じ形をしていて、背も体重も変わらない。
    (他の兄弟と)同じように見て欲しかったよね。
    今の自分はどこかで自分を否定されてきたような感じだと思う。
遠野:だから自分は人生を雑に生きてきた。”生”に対する執着がない。
千原:人は裏切ると思っているもんね。
水無:そう思わないと自分が傷ついてしまう。結局一人になりたくない。
遠野:涙
水無:私は周りに(生き方を)反対されて、居場所が無くなってこの世界へ入った。
    (親にたいして)決別しようとも(親を)許せない。だからこそ、意地でもはい上がって
    来た。
    ただ師匠の受け売りだけど「人を憎む子」にはなって欲しくない。
    今の仕事好き?
遠野:これしかないと思ってやっている。
水無:仕事に関連して出会って良かったと思う人間はいる?
遠野:出会った人全てに思う。
水無:それで答えが出ている。自分が今の人達と出会うには、この人生しかなかった。
    今まで出会った人に感謝出来たときに初めて憎しみから卒業できる。
    生まれてくる時も独り、亡くなる時も独り。
    その中でどれだけ”ありがとう”を言えるのかが、今生の勝負。

この対話は素晴らしかったと思う。水無和尚は遠野さんの心の奥に潜むものに
目を向け、凍え閉ざされた心の扉をやさしく開けた。
そして今の人生に意味があると説いてくれた。

いつも周りに殻を張ったような遠野さんの表情が、柔らかく人間らしく私の目に
映った。
人は自分の心の声を他者に聴いてもらったとき、自ら殻を柔らかく薄くする。


水無和尚がこのように説くことが出来たのは、自身の深い葛藤を経てある所へ
抜けたからこそ。
悩みがあるから、教えのありがたさが身に染みる。
どの和尚さんかが言っていた。「人に求めると失敗する。教えに求めないと。」
教えは数々の苦悩を解く要素で成り立っている。
その教えを自ら学び、当てはめ、血として肉として取り込んだとき、一回り上の
人間になることができるのだろう。

だから悩みって悪いことばかりじゃないんだよ。