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komanyunの日常

とりとめもないことを綴った雑記

神様はみんなには微笑まないからなぁ

不妊治療の仲間が妊娠した。今までずっと辛いとき支え合ってきたのに、置いてけぼりをくらった感じ。めでたいことなのに、なんで私には赤ちゃんが来ないの・・・と悲しさが募る。

そう書かれているのをみて、なるほどねー、同じ辛い立場にいるときは支え合っているのに、神の采配でどちらかが苦しみから脱出できたら、もう一方は恨めしいのねと思ってしまいました。


受験とか、結婚とか、可/不可のラインがきっちり引かれるものは、得てしてろくな感情を起こしません。
だから仏に仕える身のものは、家族も財産も捨てて仏門にはいるのです。

でも、我々凡人はそんなに何もかも捨てられるほど執着を取り去れません。
どーしたらいいんだろう?と思ったときに、哲学教室で習った「宇宙に果てはあるか」を思い出しました。
果てがあるとすれば、その境界から内側は宇宙で、その外は宇宙ではない何か。
空間ですらないのかも知れない。
もはや認識を外れた世界です。
認識できないのですから、その場所はないに等しい。

宇宙の果ては人類皆知りません。
ということは好きなように設定できます。
好きなように設定できるということが、個人個人の描く宇宙の自由さを創っているんです。

同じく現実世界でも自分が見る世界に設定を設ければいい。
私は不妊という世界にいるのだから、妊娠という世界へ旅立った人は、認識できないんだと理解すればいい。
相手は確かに今まで不妊の世界にいたけれど、一生そこにいるかどうかは誰も分からない。
偶然違う世界へ跳ね飛ばされて見えなくなっちゃったとでも思えば、そこまで悲しくなったり、相手や運命を恨まずに済むと思います。

広い世界を見ましょうとはいうけど、無限大の世界を見ると人はノイローゼになります。
目の前の美味しそうなハンバーガを食べようとするときに、世界のどこかで食べ物のもロクに食べられずに死んでいく子供がいると思っていては、自分の生活すらままならない。
どこかで線引きをすることは、我々が生きていく上で大切な判断なのです。

他人との比較というのは、いつの時代も自分の心を締め付けます。
その比較は、自分と相手が同じ土俵にいると思うからこそ、苦しみの原因になるのです。
自分と相手の境をしっかりと掴んでいれば、そもそも比較しようとしないでしょう。

塩と砂糖 どっちが美味しい? などという比較はナンセンスです。
同じカテゴリーの調味料ですらそんな状態。
調味料よりずっと人を比べることは難しいのです。
その事実を受け入れていきましょう。

全ての人との間に境界はあり、比べることは不可能です。