komanyunの日常

とりとめもないことを綴った雑記

来年の目標

2010年も残すところあと11時間。
ZAKZAK×SPAの記事を読んでいて、人間ってこうも強欲なんだと感心してしまった。
「5人の大富豪から求婚されますように。石油王でも可 」だそうな。
脱力。

どんだけ欲深いねん。

他にも絵馬に「愛情豊かな心根の優しいお医者様で素敵な男性と結婚し、幸多い
人生に」と書いている人がいるらしい。苦笑。

お金も愛情も求めれば求めるほど手から滑り抜けていく。なぜなら自分が持ち合わせ
ていないものは、手にする方法を知らないので、他力本願的に求めるが、実際に
持っている人は手にするためにかなりの試練を経たわけで、そう簡単に他人には
明け渡してくれないのである。だから相手にクレクレいってると、いやな顔をされて
距離を置かれる。
まずは、そんな欲捨ててみてはいかが?

私もずっと勘違いをしていたが、愛情は他者から与えられると思っていた。(他力本願)
だけどほとんどの人がそう思っていたら、一体誰が与える側になるんでしょう?
まず、自分が与える側になって、それから相手から返してもらうのが順でしょう。
それでもいきなり相手に愛情を与えるなんて、できません。それができるのは神くらい。
だから、自分で自分に愛情を与え、まず愛情欲しいの飢餓感をゼロにする。
そこで初めて見えてくる世界がある。

飢餓感ゼロってかなりの苦心を要する。いままで着ていた価値観の衣を脱ぎ捨てる
のだから。ときに泣いてわめいて暴れて、苦しみの中から差し込むほんのわずかな
光を頼りに一人一人が考えていかねばならない。
私を例にあげるなら、飛び降りようとした・包丁を折った・ダイニングテーブルを壊した
くらいは苦しみましたよ。それと涙1リットル。

こんくらいはやって初めて光を見つけられて、愛情ほしいの飢餓感を薄くできた。
まだやっていない人でやりたい人はそれなりの覚悟を[E:coldsweats01]。

さてそんな自分の来年の目標は、実をつけた柿の木になることかな。
奥の細道で松雄芭蕉が訪れた場所の家の庭になっている柿の木。
なにげない風景の中にただ在る木のような、無比の存在としていられるように
自分を育てていきたい。
欲を捨て、自分で自分を豊かにできる自立した木のような存在なれたらいいと
思っている。