komanyunの日常

とりとめもないことを綴った雑記

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昨日、動物病院で犬が噛み付くクセについて、悩んでおられる飼い主さんがいた。

犬のトレーニングに行っても改善しないので、犬歯を抜歯できないか獣医さんに相談していた。

うちの子(柴 3歳)も、半年前に私の腕に噛み付いた。でも抜歯しようとは思わなかったなあ。

噛む子には噛む子の理由がある。その理由に飼い主が心を馳せることが大切なんじゃないか?

人間も犬も心は同じ。怖いものや嫌なものには、反発したり攻撃したりする。心を通わせて、初めて相手のいう言葉を聴こうかなという気になる。いきなり××しなさいなんていったって、言われたほうは単なる押し付け(嫌なもの)に過ぎない。

きちんと、相手と心を通わすと、心の壁の高さが下がっているから、多少のストレスがあっても受け入れてくれる。半導体のバンドギャップと同じ。ギャップが大きければ、電圧をかけても電子の移動がない。バンドの壁を下げるには、なんらかのエネルギーが必要。それが人で言うところの、相手の懐に飛び込む勇気を持つことなんじゃないか?まず相手の気持ちになって、そしたら見るべきものが見えてきて、どうしたらいいか分かる。そこから双方の対話という反応が進むのだと思う。

当然、相手の懐に飛び込むのは誰しもができるものではない。自分が強くないと相手の影響を避けようとして、自分の壁を高くしてしまう。では、自分を強くするとはどうすることか?それは自分を愛し、認めることなのだ。すると自らのバイブレーションが強くなって、相手に影響を受けなくなって、だから相手の価値観に一時的にあわせるスゴ技ができるようになる。

現代は、頭でっかちに考えた理想像に皆押しつぶされそうに見える。本当の自分の才能に気づかないで、無難に稼げるサラリーマンを目指してオールマイティに勉学にいそしむ。そして、自分の才能に気づかないままどことなく覇気のない人生を歩んで、自分でもこれでいいのかなと悩みながら年齢と共にしがらみも増え、いつの間にか抜け出せなくなっている。私の祖母が「たいしたことのない人生だった」といってた。別の部署の偉いさんが「自分の向いている職業じゃないけど定年まで勤めた」といってた。どちらの台詞を聞いたときも、他人のことなのになんだかやりきれない気持ちになった。

もっと自分への愛も、自分の才能もあるべきところにあるようにしてあげれば、幸せになれるのにと思うと歯がゆくてならない。かくいう私も、まだ才能をどう取り扱ってよいのか分からない一人だ。幼いときから見えないフィルターで、自分という像を歪めて見ることに慣れきっているから、原点にもう一度戻って、己とは何たるかを見極めないとここから脱出できない。

だけど人間はいつでもやり直せる。泉谷閑示先生の言葉を信じるなら、人間は元々自分を愛する才能がある。だから複雑なことは考えないで自分のことを素のまま受け取ることからはじめようと思う。自分のことも、他者のことも素直に観察していけばそのうち何かが見えると信じている。