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komanyunの日常

とりとめもないことを綴った雑記

味覚が贅沢になることの弊害

備忘録

これは、ホントつまらないつぶやきです。

私が就職した頃、現在ほどカフェがなかった。
なので、都会に出たときの楽しみはドトールコーヒーでアイスココアとなんちゃらサンドを食べること。
これが、ささやかな、でも最大の楽しみだった。

就職先の寮の駅前に、ドトールコーヒーがあった。
めちゃくちゃ嬉しくて、心が躍ったのを覚えている。
少ない給料ながら、余裕があるときに、買い物ついでに大好きなアイスココアを心ゆくまで味わった。

飲んだ一口目に、脳にガツンと来るココアの香りと旨み。ほんとに、ほんとに美味しかった。

だが飲み始めて2年経ち、1Lタイプのパックを売り出すようになってから、ココアの中身が変わってしまった。
パック用のものと共通化するために、カカオの産地を変えたとか。
そこからは、飲んでも飲んでも、あの幸福感は得られなくなった。

では、今、昔美味しいと感じたココアを飲んだとしたら、同じように感動するか?
いや、それはないだろう。
カフェが増え、コンビニにココアが置かれ、丹念に研究されたココアを飲んでいるうちに、自然と美味しいと感じるレベルが上がってしまった。
要するに、贅沢病にかかったのだ。

美味しいものに出会えるのは、幸せなこと。
でも、田舎から出てきて滅多に飲めないココアに舌鼓を打ち、至福の時間を過ごす、という心の豊かさは、ナイからこそ味わえる特別な幸福だと思う。

「年を取ると、心が汚くなる」と言われるのは、もしかしたら、こういう都会の贅沢に毒されて、自分だけが感じるささやかな歓びを得られなくなることなのかもしれない。